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まず、平成26年3月時点での国勢について触れておく必要があるだろう。

平成26年3月18日時点で、信onの国勢は武田家を中心とするグループと徳川家を中心とするグループの2極化になっている。
便宜上、前者を武田連合、後者を徳川連合と呼称する。

各連合の加盟国は、以下のとおりである。


武田連合:上杉、今川、本願寺、浅井
徳川連合:北条、織田、斎藤、朝倉、伊賀忍、足利、三好、雑賀衆
※勢力情報順、敬称略


5か国vs9か国の国勢となっている。
手数は徳川連合が多いが、総合的な合戦成績では武田連合のほうが勝利している現状である。

次に、開戦時の天下情勢について説明したい。
下の写真は、吉田港合戦終結後の天下情勢である。

H26_3_28天下情勢

本来であれば合戦前の天下情勢を載せるべきだが、
残念ながら合戦後の図しか残されていなかったので、
終了後の天下情勢で説明する。

この週の合戦侵攻は、①の勝幡合戦と②の吉田合戦の2箇所である。
勝幡は武田家が、吉田は上杉家が侵攻している。

徳川連合はこの前週に4か所侵攻し、物資がなかったためこの週は侵攻をしなかったようだ。
したがって、同盟関係を含めた合戦の発生状況は以下のとおりである。


武田(本願寺・浅井)⇒織田(三好)
上杉⇒徳川(足利)


ここでポイントとなるのは上杉の援軍がないことである。
これは、吉田合戦の前週、メンテ直前まで兵糧がなく援軍が呼べなかったためである。
兵糧をためてから進軍する方法もあったが、前週に徳川連合が大規模攻勢を仕掛けているだけに、
分断等の妨害を受ける前に侵攻しておきたいという狙いもあっただろう。

このように、上杉家にとっては通常より人数が少ないと想定される中で吉田合戦は開戦されることになった。
当時上杉家に勝算があったかどうかは、侵攻を決める会議に私が出席してなかったため不明である。

勝算はあったと考えることもできるし、確実に武田家の勝幡侵攻を成功させるため、負けるリスクを承知して侵攻したとしても間違いではない。

ただ、相当な苦戦をすることは開戦前から上杉家ではわかっていたはずである。
開戦から勝ちに行くというのは、上杉家内部ではみんな意識していたのではないかと思う。

この吉田侵攻が、勇気ある決断であったのか無謀な蛮行だったかと問われたら、私は即座に前者だと答えるだろう。
単独侵攻で勝てば上杉家にとっては大きなプラス材料になるし、負けたとしても単独侵攻でどこまでやれるかを試すいい機会となる。
戦い方次第では、どちらに転んでも上杉家にとっては好材料になるはずであった。

逆にいえば、戦いの姿勢というのが問われる一戦でもある。
結果よりも内容重視の合戦になるだろうと、開戦の報を聞いたときは漠然と思った。

こうした私の思惑はさておき、吉田合戦は開戦した。
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